それでも生きていられる事が幸せだと思える

主治医

私は15歳で大病を患い、関西一の京都大学病院に主治医がいました。

入院治療を終え退院が決まると、それまでの貯めていたお小遣いと、企業社員だった父親の上司からお祝いとしての5万、それらを利用して念願だった最初の愛猫でもあるペルシャを飼い始める事が出来たのです。

愛猫を支えにしながら社会人にもなると、かわいい猫を見ては購入し、いつも猫が触れる環境にいられているのが私の人生で一番の幸せであると思いながら、今でも生きて生活を過ごすのが幸せなのだと感じられるのが限られた生活の中で一番の幸福です。

この病気を患い失う事もありましたが、毎日猫の姿やその表情や仕草だけでなく愛猫と会話が送れるだけの事でも、余命宣告をされてはや4 年でいる私は、例え障害年金がもらえずに一日3食さえ食べさせてもらえなくても愛猫がいてくれるからこそ嬉しく思いながら過ごしています。

決して満足とはいかなくてもそんな日々を送りつつ、好きなライティングを出来るのが喜びでもあります。