ひとり旅、シアトルの真ん中で孤独を叫んだあの日
かれこれ20年以上前の事、日頃さほどアクティブでもない私なのですが、当時はどこか閉塞感を感じていて、ある時何もかも捨てたくなりました。
そこで思い付いたのが語学留学、早い話が現実逃避なのですが、とにかく広い世界を見てみたかったのです。
そんな訳で前世紀の終わりの春、ひとり成田からシアトルへ飛び立ったのでした。
海外旅行へは何度か行ってはいたものの、ひとり旅は初めて。
機上の人となった時は軽い興奮状態だったのですが、なにしろ9時間もの搭乗時間、次第に不安が高まってきて、今度寝る時は知らない人の家なのだと思いつつ、落ち着け落ち着け、と自らを奮い立たせたものです。
そしていよいよシアトルに到着というアナウンス。
あっ旅行会社に貰ったガイダンス、ロクに読んでいないやと引っ張りだすも、緊張しているのかまるで頭に入ってきません。
そうこうしているうちに機外に出る事に。
当時のシアトルの空港の国際線システムは複雑で、荷物を受け取り入国審査を通過した後、もう一度荷物をベルトコンベアに載せ、そして待合室で出迎えた人と合流して地下鉄に乗り、着いた所で荷物を再び受け取り外に出る、というもの。
人の後をついて行って何とか入国審査を無事に済ませたものの、そこからどうするんだっけ?と全てスッポ抜けてしまった私。
人がわさわさいる空間があったのに、いきなり地下鉄に乗ってしまい、最終的に荷物まで受け取り、あら私これからどうするんだっけ?といきなりパニックに。
あ、もしやさっきの空間が待合室?そこにホストマザーの方もいたのかも?そこで色々気づいたものの、地下鉄は一方通行で戻る術がなく、えっどうしよう!誰も知り合いもいないし、あたしひとり、、、子供でもないのに涙が出てきてぼう然と佇む私。
10分も経ったでしょうか、他の留学生の人達が合流したホストファミリーと談笑しながら、続々とやってきます。
いけない、これでは野垂れ死だ、どうにかしなくちゃ、翌日から行く学校の連絡先を探し出し、公衆電話から電話をかけ、繋がったと同時に「私は空港にいます!明日からそちらの学校に行きます!でもホストファミリーに会えない!よくわからなくてバゲージクレームの所にいます!!」つたない英語で、脳裏に浮かんだ事を吐き出すように叫んでいました。
電話口に出た中年女性(幸運にもコーディネーターの方だった)はとても優しく「アナタよく頑張ったわね、大丈夫よ、すぐそこへホストに迎えに行って貰うわ」と言ってくれ、ホッとしてまた涙にくれる始末。
その後、ほどなくしてホストマザーのドリーンがニコニコしながらやって来て「アナタがエツコね、やっと会えたわね!」とビッグハグ、その温かい体温と優しい眼差しで、ようやく私の緊張がほぐれたのでした。
その後3か月の予定を半年間に伸ばしたほど、シアトルの街とドリーンの家の居心地が良く、シアトルは第2の故郷となりました。
今では全てが良い思い出です。